七沢観音寺について

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本堂正面

七沢観音寺の縁起


観音寺は七沢温泉街の山裾にあり、本山は天台宗比叡山延暦寺です。「村中山福聚院観音寺」(そんちゅうざんふくじゅいんかんのんじ)と号し、本尊は「馬頭観世音菩薩」が安置されています。馬頭観音が祀られているのは、七沢城主上杉定正の愛馬「月影」を供養したことによると伝えられています。他には木食空誉弾阿上人の像があり、像の胎内には、観音様、阿弥陀様、地蔵様などと共に玉川村の戦没者、百九柱の英霊が納められて供養されております。更には運慶作「其餘阿弥陀」や智證大師作「不動明王」が安置されております。〔新編相模国風土記稿〕〔観音寺、寺傳〕


当寺院は、奈良時代後期の元正天皇在位715~723の治世に、創建されたと伝えられる8世紀頃の名刹ですが、その後野火により全てが焼失してしまい、定かではありません。後に元禄初期頃、村民の協力により再建され、浄発願寺(じょうほつがんじ)の木食空誉弾阿上人によって、天台宗の寺として、開山したと伝えられます。伊勢原市日向一ノ沢の浄発願寺の末寺でもありました。


昔、境内傍らの鉄砲馬場では、お祭りの時に馬を飼っていた村人達が集まり、馬の安全、供養や村の五穀豊穣を祈り、草競馬を行い大変賑わっていました。堂内にはその当時の面影を残す多くの絵馬が掲げられており、古いものでは天保十年(1839)のものもあります。また、境内には、馬の頭の形が彫りこまれた「馬頭観世音」石碑や、「宇賀神」(人頭蛇神)や宇賀弁財天の石像も、建立されて安置されています。


かつての七沢浅間神社の別当寺の禅法寺は、鐘ヶ嶽中腹にあり、別名を鏡掛山尊聚院禅法寺と号し、中興開山の木食彈阿上人の手による勢至菩薩がありました。
禅法寺は、明治初年神仏分離令により、廃寺とされ、仏像等は同宗の観音寺境内に移され、今も大切に勢至堂本尊としてお祀りされております。この勢至菩薩は木食上人自らが彫刻された本地仏であり、仏像胎内には千躰仏がお経とともに、納められております。二十三夜さまとされたり、富士浅間大菩薩や木花咲耶姫の本地ともされます。境内は沢山の桜の木で、埋め尽くされますが、偶然でしょうか、木花咲耶姫と富士浅間大菩薩の象徴花は桜であります。桜の季節はさくら祭りとして皆様お楽しみ頂けたら、ご本尊もお喜びになられる事でしょう。

二大本尊のご利益

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馬頭観音菩薩

馬頭観音
厄除開運、生類守護、動物救済、交通安全、
厄難消除、必勝祈願、邪念解消、身体健康、
結界守護、息災、調伏

読んで字の如く、馬に乗っていたり、馬を頭の上に乗せたりするお姿をして、お不動さまのように、大変怖い憤怒の形相を、されています。 畜生道に落ちた人間を導くことや、動物の救済はもちろんのこと、草競馬場が存在していたことからも、勝馬祈願、賭け事の祈祷もなされておりました。また現世におけるあらゆる不浄を焼き付くし、結界をはるお役目もあります。もし自分の身の回りに、人面獣心、鬼畜のやからがおるときは、ひそかに馬頭観音の真言を、唱えられたら、よろしいかと思います。たちまち障礙は退散されるでしょう。 現代社会においては、ありとあらゆる結界は崩れさり、自然界は破壊され、魑魅魍魎の巣窟であります。眼を向けようとして、大義を振りかざせば、疎ましく思われるだけです。せめて御自身の大切な人だけでも、御守り出来るよう馬頭さまに、おすがりし、ご祈念差し上げましょう。


ご真言 オン アミリ トドハバ ウンハッタ

富士浅間大菩薩 (勢至菩薩)

大勢至菩薩
学業成就、良縁成就、因縁解脱、家庭円満、
安産成就、火難消除等

十三仏や一周忌の本尊として知られていますが、「得大勢至菩薩」といわれ、その力は絶大で足を投げ出すだけで、大魔王の宮殿が、揺らぐとされます。菩提心をおこさせたり、知恵の光を放って、我々衆生が、地獄道や餓鬼道に落ちないように救うともされてます。
また浄土宗の法然上人は幼名を、勢至丸といい、「智恵第一の法然坊」と呼ばれ、勢至菩薩の生まれ変わり、または本地とされ、弟子の親鸞は没後に大勢至菩薩和讃を詠んだとされています。
二十三夜の月に捧げ物をして勢至菩薩に祈れば、除災招福、家内安全が叶うともされます。
木食空誉弾阿上人の傑作として旧禅法寺にお祀りされておりましたが、養蚕、安産、子宝、良縁にご利益があるとされた富士浅間大菩薩として当時の信仰を、一心に集めておりました。現在の本堂にお祀りされる仁王様も弾阿上人の作で、旧禅法寺の仁王門の仁王様としてお祀りされていたようです。


ご真言 オン サンザンサク ソワカ